数年前、私は素晴らしいベンチャー企業で働いていた。みんなとても仕事ができる人たちで、社会を変えていくような事業を展開する企業だった。私が働いていた当時は界隈の人しか知らないような企業だったが、今ではメディアでの露出も多くなり、それなりに有名な企業になった。
私が働いていた時、鬼のように仕事ができるカリスマ的な事業責任者がいた。今では自身の会社を興し、世界的なメディアに掲載されたりしている。月並みな言葉だが、すごい人だったと思う。今もなお尊敬している。
ある時、その事業責任者の人はこう言った。
「社会を変えることに自分の人生の1分1秒を費やしたい」
——本気で言っていたと思う。その言葉には、隙を全く感じさせないような気迫があった。普段の行動が十分過ぎる説得力をもたらしていた。
だが、私はそう思えなかった。
社会を変えることに自分の人生の1分1秒を費やしたいと、思えなかった。そう思えない自分が情けないような、中途半端だという気持ちがあった。
「私は何に自分の人生を費やしたいのだろうか」
そう考えていると、くすぶっている友人たちのことを想うことが多かった。学生時代から人の世話を焼くことが好きで、社会人になっても人のことばかり気にかけていた。
「身近な人たちの人生を良い方向に変えることに自分の人生を費やしたい」
これが腑に落ちた結論だった。
世の中には、社会的影響度の大きな仕事と小さな仕事があるが、どちらの仕事も尊く、どちらも必要なものだと思う。
教育に携わりたいという人が、文部科学省で教育の枠組みを変えていくことはとても素晴らしいことだし、小学校の先生として目の前の子どもの人生に向き合っていくことも、また偉大な仕事だろう。
どちらが良い悪いではない。自分に合っていることをやればいいと思う。私にとっては社会を変えることではなく、一人の人生に向き合うことが合っていた。
その後、私はさまざまな仕事を通じて、身近な人たちの人生に向き合った。気付けば教育系の企業でマネージャーとして働くようになり、社内外でキャリアの相談に乗る機会が増えた。
私は「キャリアの正解」のようなものにはあまり興味がない。キャリアは多様だ。一般論にとらわれず、好きなことをやればいい。だが、好きなように生きることは簡単ではなく、またそのサポートをしてくれる人はあまりに少ない。
幸いにも、私がキャリア相談をさせていただいた方には喜んでもらえることが多く、「身近な人たちの人生を良い方向に変えることに自分の人生を費やしたい」という想いを少しずつ体現できているのではないかと感じている。キャリア相談という名目だが、人生丸ごと応援させていただく気持ちでやっている。
あなたは何に自分の人生を費やしたいだろうか。
私とのキャリア相談が、あなたの人生を良い方向に変える分岐点となれば嬉しく思う。